山村啓介と申します。初めて一年近くになるので、題名を「劇評ブログ、始めるねん」から変更しました。誤解、偏見などあるかもしれませんが、特に関西の演劇は批評される場が少ないので、頑張って続けていきたいなあ、と思っています。

なのに今年初めての更新です、すみません。暇なはずなのにバタバタしている。時間が経つのが異常に早い。朝机に向かったと思ったらいつのまにか夕方になっている。年を取るとはそういうことか。前回、年の瀬のコマツ大博覧改観劇予定まで記して文を終えているので、とりあえずその続きの記録から。

■1/12(日)KAATプロデュース『常陸坊海尊』@兵庫県立芸術文化センター中ホール
■1/26(日)下鴨車窓『散乱マリン』@京都芸術センター
■1/27(月)烏丸ストロークロック『まほろばの景』@アイホール
■2/3(月)イエティ『スーパードンキーヤングDX』@アイホール
■2/7(金)SSTプロデュース『彼方のソナタ』@難波サザンシアター
■2/9(日)THE GO AND MO’S『黒川寄席』@スタジオ松田の家
■2/17(月)MONO『その鉄塔に男たちはいるという+』@アイホール
■2/19(水)匿名劇壇『ときめく医学と運命的なアイデア(「運」編)』@インディペンデントシアター2nd
■2/23(日)Plant M『ラズベリーシャウト』@ウイングフィールド
■2/26(水)匿名劇壇『ときめく医学と運命的なアイデア(「と」編』@インディペンデントシアター2nd
■3/6(金)KUTO-10『なにわひさ石本店』@ウイングフィールド

■何年かのち歴史としてどう語られることになるのかまだわからない新型ウイルス騒ぎのおかげで、やはり観劇ペースは落ちている。先行予約でチケットを入手し楽しみにしていた、今月下旬のある公演も早々に中止が決定した。大勢の人々が閉鎖空間に集まることによってのみ成り立つこの厄介な芸術に携わる人々の、大変な苦労と不安を思ってしまう■実は、自分もつい一か月半ほど前にある人からインスピレーションを受け(そそのかされ?)、ゴールデンウィークにこじんまりしたフェスを主催することになって、ほんとに開催出来るのかわからないまま準備を続けているのだけど、そんなモヤモヤ、今の世の中全体の不安から見れば芥子粒にもならない大きさなわけで、粛々と作業を続けるしかない■さて、晩秋以降の印象深いものから一言ずつ■

■11/29□字ック『掬う』
千葉雅子、山下リオの芝居が楽しみ!という思いで観に行ったのだけれど、ご両人は勿論、全員の演技が、主演の佐津川愛美の愛おしく切ない存在感に収斂されていた。つまりこれがいい戯曲、いい芝居というものだろう。
■12/10『スーパーソニックジェット赤子』
関西小劇場界の団体がシアター・ドラマシティで芝居を打つことが殆どなくなった。そんな中で繰り広げられたバイト店員赤子と天才犬スパークの大冒険は主宰・片岡百萬両にとってもまさに大冒険だったと思うが、その意気やよし。あまり「エンタメ」が得意でない僕も文句なく楽しかった。
■12/18『7人の妊婦』
警察署の会議室での議論という設定につき、舞台上には長机とパイプ椅子だけというミニマル&エコノミーな作品。とぼけた風味とセンスのいい言葉ギャグが持ち味のこのユニットにはむしろそれが合っている、と僕は思う。やっぱり好き。
■12/29『コマツ大博覧改』
2018年末の作品を少し膨らませた公演だったのだけれど、そのサービス精神、客席との交歓、年末の観劇納めに相応しい幸福な体験だった。オープニング、あの名曲に乗せサイリウムをぶん回すヲタ芸は、何度見ても何故かウルっときてしまう。
■『散乱マリン』・『まほろばの景』
連続して鑑賞した、ともに京都の地名がついた劇団の作品。どちらも終盤「水」が劇的展開をもたらすという偶然。見えない水、見える水。
■『スーパードンキーヤングDX』
9年前の「ドンキーヤング」が大好きだったのだ。ヤンキーカップルがドン・キホーテと間違えてヴィレッジ・ヴァンガードに迷い込むお話。その続編がイエティとしても久々の公演として登場。ヨーロッパ企画の一味とはいえ、上田誠作品とは相当違う、時代感覚を重視した作風(大歳倫弘)で、こちらもたいそう幸福な時間をもらえる。
■『その鉄塔に男たちはいるという+』
ベテラン5人によるMONOの名作上演に、若手メンバーによるその前日譚を添えて、という上演形態。前日譚の部分は、海外旅行中の身内のトラブルのお話。こんな旅行絶対イヤだ、という、土田英生作品らしいヒリヒリする空気。が、第2幕にあたる40年後、かつて家族がケンカした同じ鉄塔に、男たちは隠れている。第2幕から第1幕を振り返れば、あのケンカがなんとも牧歌的で、世界は遥かに平和で住みやすかったのだ、と思い知らされる。そして現代が第2幕に近づきつつあることも。
■『ときめく医学と運命的なアイデア』
昨年の「大暴力」のような、短いシーンの連続で構成される作品を匿名劇壇では「フラッシュフィクション」と呼ぶそうだ。今回は、この手法を用い、ひとつの設定からふたつの作品を創り上げるという試み。これまで頑なに劇団員のみでの作品作りにこだわってきたこの劇団が、オーディションを開催し客演を迎えるという新しい試みもあった。様々な刺激に満ちた作品。
■『なにわひさ石本店』
いつものあのTHE ROB CARLTONの舞台における、ゆったりしたテンポの喜劇的時間が、大阪の高級料亭の厨房に流れる。村角太洋は案外、中高年役者に当てた台詞が得意なのではないか。日本料理の用語やしきたりもよく勉強しているし。ウイングフィールドの極端に小さな空間で、上品でアホな人間模様が展開された。

以前、10月いっぱいの観劇記録を記したので、年末にあたって11月、12月も書いておきます。知ったこっちゃないよ、ですが、自分用なのですみません。
■11/7(木)劇団Patch『カーニバル!×13』@ABCホール(本当は「カーニバル!」を13回書くらしいですが、そういうタイトル、誰得だなあ)
■11/15(金)ばぶれるりぐる『へちむくかぞく』@インディペンデントシアター1st
■11/22(金)極東退屈道場『ジャンクション』@江之子島文化芸術創造センター
■11/29(金)□字ック『掬う』@HEP HALL
■12/10(火)片岡自動車工業『スーパーソニックジェット赤子』@梅田芸術劇場シアタードラマシティ
■12/16(月)N-Trance Fish『Pressure Point』@ABCホール
■12/18(水)かのうとおっさん『7人の妊婦』@芸術創造館
■12/27(金)澤田誠企画『READ to TRUMP~極夜~』@音太小屋
■12/29(日)小松利昌ソロコントライブ・コマツマツリ2019『コマツ大博覧改』@ABCホール(予定)

■12月初旬にウチの劇団(満員劇場御礼座)の公演があった影響もあり、11月はペースが落ちてます■そういえばその公演期間中、ある日の舞台が始まってから、劇場に突然新入団員が2人やってきました。そしてウチの劇団の主宰は、あろうことか急遽僕の役をその新人に与えてしまったのです。繰り返しますが幕が開いてからです。実はその新人2人はとんねるずで、僕は木梨憲武さんに出番を奪われてしまったのです。さすがに不貞腐れた僕は、こんな劇団絶対辞めてやる!と思いながら、楽屋に戻りました。楽屋には石橋貴明さんがいました。あの鼻にかかった声で「おつかれーす」みたいな挨拶をしてきたのですが、なぜか僕同様しょんぼりしています。なんと役が付いたのはノリさんだけで、タカさんは出番がないのです。タカさんと僕はそれから楽屋で愚痴を言い合い意気投合したのでした・・・という夢を昨日の明け方見ました■夢の話をするなんてひどいブログですが、妙に自分としてはリアルで。お許しください、なんだか好きな夢■さて
■ばぶれるりぐる『へちむくかぞく』2019年11月15日(金)@インディペンデントシアター1st(脚本:竹田モモコ、演出:チャーハン・ラモーン)
■昨年の旗揚げ公演『ほたえる人ら』では、四国の端っこの超過疎の町で日本社会のひずみが露呈する、みたいな小さな事件が描かれていたのだが、今回は同じく高知県南西部の方言「幡多弁」による家族のお話■廃業したスナックの元ママ(中道裕子)が突然亡くなった。就職で都会に出た長男(澤村喜一郎)、愛人を作って家を去った夫(隈本晃俊)が一連の儀式のために戻ってくる。道の家で働き母と暮らしていた長女(竹田モモコ)のざわつく心。ごく自然に長女の前に現れる母の霊。素っ頓狂に飛び込んできた若い女性(東千紗都)によって知らされる、家族全員が全く知らなかった母のもうひとつの顔。地道に家業の仕出し屋を継いだ青年(泥谷将)が、云わば基準点みたいになって、気持ちも視線もバラバラな(へちむいた)人々が描かれてゆく・・・■普遍的な人間の情感の機微が、散りばめられた田舎あるあるのユーモアをまとって、静かに心地よい。人が死んでゆくこと、愛し合う人が別れることで無理矢理泣かせようとする芝居よりも、死んだ人のために集まって、だからといってすぐにひとつになれるわけではない、でも変化がないわけではきっとない、本作のようなそんなふわっとしたお話のほうが、僕には遥かに心に沁みる■


■庭劇団ペニノ『蛸入道忘却ノ儀』2019年10月15日(火)@ロームシアター京都ノースホール
■お芝居のチラシというのは難しい。予算のない大方の小さな団体では、多少心得のある知り合いなどにデザインを頼むケースが多いのだと思うけれど、正直残念な出来栄えのものも多い。この秋も、東京の某老舗人気劇団の、あまりに悲惨なクオリティのチラシを発見し、ここは大手事務所がバックにいるはずなのに何故?と悲しくなってしまった。キーとなるビジュアルをどうするか、中身をどの程度どんな表現で説明し、集客に結びつけるか、いつもみんな悩んでいるのだ■さて、いま本作『蛸入道忘却ノ儀』のチラシを見返してみたのだけど、内容についてびっくりするほど説明してある。少し長いが引用する■
「寺院を模した空間を劇場に建立し、観客はその内部に招き入れられるだけでなく、俳優たちが執り行う儀式的なパフォーマンスに巻き込まれていく。8本の足、3つの心臓、9つの脳を持ち、その不可思議さから宇宙から到来した生物とも呼ばれる蛸が空間と祭事のシンボルに据えられる。経典の反復とヴァリエーション、かき鳴らされる楽器、閉ざされたお堂の中に充満する香りとねばりつく熱気。観客の五感もまた俳優のそれと同様に総動員され、音楽的な快楽に身体を明け渡し、時間間隔を見失ってしまうようなあやうい没入感から逃れるのは容易ではない。リアルとフィクションの境界が解け去り、トランス状態に達した時、わたしたちはなにを忘却してしまうのか。」
■ぜんぶ言っちゃってる。内容についてはこれが全てだ。あまつさえ観劇中の客の内面まで予言してくれている■ここに示されている通り、本作はいわゆる普通のお芝居ではない。これから「蛸」を教祖ないし本尊とした謎の宗教の儀式を行うから、あなたたちも参加せよ、というわけだ。開演前に、劇団主宰で作・演出のタニノクロウ氏が前説に登場する(後で思えば、この冒頭のタニノ氏の発言や行動が曲者なのである)。観客は入場時に願い事を書いた紙を壺に入れ、儀式で用いる鳴子などの楽器を1つと、経典を1冊渡されている。さらに、京都市水道局提供という水のボトルを1本。お堂の中央に強力な熱源があり次第に場内が暑くなるので、その対策だという■観客は狐につままれたような気分のまま、火元に点火がなされ、儀式は始まり、赤い衣装をまとった俳優たちによる、様々な楽器演奏と読唱と肉体的パフォーマンスが連続し、確かに空間は異様な熱に包まれ、消防署の許可はどうやってとったんだろうという心配は僕の頭に募り、やがて、終わる。祀られたタコが巨大化して昇天するとか、そんなスペクタクルは特にない。代わりに大きな種明かしがひとつ、最後にサラリと行われる■これが演劇といえるのかどうかはよくわからない。独特の人間観・演劇観の持ち主である作者にとっては、これまでの演劇活動をいちど解体する試みであったかもしれない。あまりに説明過剰なチラシは、観客に作品の構造を晒した上で、あるいは、ある程度覚悟を持って来場させた上で、彼らに何を感じさせることが出来るか、確信犯的実験であるようにも思える■僕個人について云えば、おそらくそれぞれが蛸の足の1本として環状に並んだ8人の俳優たちの、文字通り汗まみれの熱演を見届けることを通じて、ある種の爽快な演劇的体験があったことは間違いない■


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